寿命 (2005.10.13)
同友会の地区会長になったせいなのか。 今年はやけに仏事が多い。
黒ネクタイはいつもかばんの中に入れておかなければならない。
今のところ、知人や上司のご両親が亡くなった知らせを受けることが多いが、
将来は、知人や上司の訃報を聞く場面に出会うであろう。
私の両親も既に他界している。悲しいことではあるが病気で親が亡くなることはある意味順番的には全うで、寿命であったと言える。(かなり短いが。)
寿命と割り切れないのが、事故や事件、災害で命を落とす場合であろう。
パキスタンでは多くの方が命を落とし、交通死亡事故は毎日起こる。 昨日は踏切事故があり、殺人事件もぼぼ毎日に等しいのではないか。
特に、親が子を失うケースの悲しみは、子供のいない私にとっては計り知れない。
「命を守る。暮らしを守る。」という理念の民間ビジネスがもっと成長してもよさそうだ。
日本が少子高齢化に進んでいるのは、既に誰もが知っている。
「企業にもライフサイクルがあり、寿命がある」と言う説も何度も聞いた。
企業が老いてきて衰退するのはある意味順番的には全うで寿命であったと言える。(長い短いはあるが)
割り切れないかもしれないが、 事故や災害、国の施策、経営者の愚行・予見ミス等々によるの倒産もほぼ毎日起こっている。
高齢者は元気である。私の周りにも老獪な経営者がごろごろいるし、その人達のバイタリティは凄まじい。 過去の栄光や特権にしがみつくことなく新しいことに挑戦している。
当社に入った先輩達も、挑戦者達の中の一人だろう。
憂うは、新しい人、もの、市場、事業の芽が見つけられないこと。生まれてこないこと。
私など、16年も事業してもうすぐ40になるのに未だに若手、追っかけてくる人がいない。
やはり「高齢化」より「少子化」の方が問題だ。。。。と私は思う。