プレイバックPart2

 小学校の卒業アルバムときたら、やはり中学校時代にもバックトゥーザ・フューチャーしてみましょう。
 
 
 ①成田空港は中学校1年生の時に開港したんですねー 思い出はありませんねぇ。

 ②日本坂トンネルの火災事故は中学校2年生の時。 何となく覚えています。

 ③百恵ちゃんがステージにマイク置いたのは中3の時だったんですねー。[#IMAGE|S7#]

 ④大平総理がお亡くなりになり、鈴木善幸さんに代わったのもこの年。 当然ですが当時全く興味なし。。。

 
 そして、またまた初公開。中学校卒業作文。

 そうなんですねー。 この年に親父が44才で死んだんです。[#IMAGE|S7#] なんだか作文にも虚脱感がありますねー。「無題」だって。。。

 改めて読んで要約すると
 「父親を尊敬し目標としていたが死んでしまった。 どうしたらよいか判らないがとりあえず親父の分までがんばろう」

 そんな前向きでは無かったような気がしますが。。。。文脈からはそう読めますね。

 
そして、面白い「よげんの書」を発見しましたー。 

 私が14歳の時に卒業文集に書いた「20年後の私」。
 なんと経営者になる事を宣言しているのでしたぁ[#IMAGE|S66#] 1980年の20年後。。そうです西暦2000年。 私は今の会社の代表取締役に就任したのです。
 なんだか自分のヒストリーに勝手に酔ってしまいました。 どうもすみません。 
 でもやっぱり紙に書くと実現しますね。  

 実は2000年にも次の20年(2020年:54歳)を予想した「しんよげんの書」を書いているんです。
 あと11年このブログが続いていたら公開しますね。
 
 今日のひとりごと

・どうなりたいか。
・人生は物語
・もうすぐ44歳

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