言葉の重み
「言葉の重み」が話題になっていますね。
言葉に責任を持つ。
自分の周りでも「言った言わない」のループによく陥ります。
私も、社内外で「発言」しなければならない事が多いので、特に言っている事とやっている事、感じている事、起こっていることが不一致にならないよう気をつけています。
ブログなど活字になる言葉も、事前事後に読み返しが聞きますのである程度注意を払っています。
意識しているうちはOKなのですが、むしろ怖いのは「日常」。
無意識にでている言葉や口癖。言葉の裏側にある思いが周りにどんな影響を与えているのか。
聞いているつもりはないのに入ってくる日常の会話。そこから受ける無意識の嫌悪感。[#IMAGE|S2#]
指摘してくれる方がいればよいのですが、立場が上になればなるほど言ってくれなくなる。
「アファメーション」という考え方があるように、扱う言葉次第で自分も周りも変わるんだと思う。
当社の場合、肯定的に受け止めれば、「無礼講でざっくばらん」な社風とも言えますが、同僚をお前呼ばわりしたりとか、お客様を「あいつ」と呼ぶことがしばしば。[#IMAGE|S8#]「ふざけんな」「全然だめ」みたいな言葉が就業中に使われていることに、不快感を持っている人が少なからずいるんだと思う。いや違和感を感じなくなったら問題である。
そして、その発信源が自分だとしたらその責任は極めて重い。[#IMAGE|S47#]
たかが言葉といえども、その一言で相手が死に、その一言で相手が生き返る。
やはり「言葉の重み」はあると思う。
今日のひとりごと
・今日も天気がよくてありがたい
・コップには半分も水が入っている。
・見て見ぬふりは同罪
・あきらめる開き直るのは言語道断